子育てをしていると、「自分を振り返る作業」が多くなるような気がしています。
子供だって大人同様、元気な時とそうでない時、機嫌が良い時とそうでない時があって
親は自分の都合そっちのけで子供と付き合わないといけません。(そうでない時もあるけど苦笑)
それはそれは思い通りにならないことだらけで、時間が無い時は特にイライラ!
もう、、、なんていうか、叱ってしまえば終了なんですが、
「子供は(親の)言う事聞かない」前提でいると気が楽だし、
あぁ今こんな気持ちなんだね、こうしたかったんだね、、くらいでいると結構、、、楽。
なぜ、こんなことを書いているかというと、、、先月とあるカウンセリングを受けた時に
「子供の頃、家族から何て呼ばれてました?」と、質問を受けて
「おねえちゃん、でした」と、答えると
「名前(みか)でなく「おねえちゃん」だったの?それってなんだか、、、どうなんでしょうか」
という会話をしました。
それが普通だったわけだし。そんな環境で育ったわけだし。
妹から呼ばれるならまだしも、父や母からもそう呼ばれていた私はこの年にして
あぁ、、、そうか。と、自分の中で色んな気づきがあったのでした。
名前って、大事で。
色んな想いを込めて 先日、二男に名前をつけたばかりの私は
自分の子供たちは名前で呼んでみようと思うわけです。
子供の頃に親から色んな否定・抑圧を受けると、その子供は自分自身への評価が低くなり
「自分がこうしたい!」という気持ちを隠して(親にとっての)良い子(都合の良い子)になっていくように感じています。
子供は自分自身を守る術を知らないから、親から見放されたくないから、、なんでしょうが。
そして、いつかは否定・抑圧されていたものが爆発してしまうわけで。(これが思春期と言われるものかな)
自分に自信が持てずに、自分の願望が分からなくなったりもするわけで。
最近、とある方の文章を読んでハッとしたこと「親は教育者でなく、保護者です」
私はこの子たちの保護者であることをやっていけば良いんだなと。
こーんな私を100%信頼して、
「ハグして(ママ、そんなに怒らないでよーとか、ごめんなさいという言葉を身体で表現していると思うのですが)」と、
迫ってくる自分の子供を保護してあげる
動物が普通にやっていることを、私もしていく、、、ことを続けてみようかね。
おねえちゃん、で育った私は、そう呼ばれることで自然とおねえちゃんになっていったんじゃないかな。
私の場合は特に母の求める おねえちゃんを必死でやろうとしていたのかもしれません。
まぁ、、、無理だったわけで。苦笑
今朝の海までのお散歩中、全くもって歩こうとしない
ガソリンスタンドの洗車中の様子にくぎ付けの長男を見ながら(約10分)
ぼんやり考えたことを綴ったのでした・・・
にゃむにゃむ・・・